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2007年12月26日 (水)

原子力は科学技術ではなかった

槌田敦さんの『エネルギーと環境』(1992年)の4回目は、原子力技術の失敗を直視すべきこと。

Monoibe2■原子力は科学技術ではなかった

科学技術はそもそも疑うことによって成り立つ。信ずるのなら、それは宗教である。

すでに述べたように、放射能の後始末は科学技術とはいえない。それだけではない。ほとんどすべての原子力は科学技術ではなかった。
たとえば、1979年のスリーマイル島事故について、原子力技術者は当初「炉心溶融はありえない」と断定していた。その論拠は、キセノン133の放出率と酸化ジルコニウムの生成率というふたつの「証拠」と炉内温度の「計算結果」であった。
しかし、事故から5年後に炉心溶融があったかもしれないといいはじめ、毎年いい方を変えて、10年後には52%が溶融していたと認めたのであった。経過を見るかぎり、彼らは嘘をついたり、隠したのではなく、炉心溶融はないと本当に信じ込んでいた可能性が高い。原子力技術者が、この炉心溶融の事実を長期間わからなかったことは、隠していたよりなお悪い原子力が人間の能力の限界を超えているのに、これをいじっていることになるからである。これでは科学技術というわけにはいかない。
それに、相当の確信をもって発表していたふたつの「証拠」と「計算」について、原子力技術者はいまだにそのまちがえた理由を説明しない。これも科学技術ではないことの証拠である。

チェルノブイリ事故からすでに5年以上経過している。それなのに、数秒の間隔で起こった2回の爆発が説明できていない。とくに大量の核燃料が、1〜10ミクロン程度のエアゾルになり、大気中に放出されたこと、事故から5〜10日後にふたたびプルトニウムを含むエアゾルが出たことについて、説明できていないのである。
それにもかかわらず、原子力関係者は水蒸気と水素爆発という従来の説にこだわっている。そして、チェルノブイリ事故の核爆発説については検討もしないで、「ウラン濃縮度の低い原子炉燃料は核爆発しない」と頭ごなしに否定するのである。そもそも、濃縮度と核爆発とは直接関係がない。原子力技術者はまちがった常識を信じたままなのである。こういう思考停止のまま、その常識を受け売りする説明しかできない技術を、科学技術ということができるだろうか。

つまり、スリーマイル島事故も、チェルノブイリ事故も、その原因究明に失敗したのである。原子力はいまだ科学技術ではなく、残念ながらこの程度に頼りない技術だったのである。
(第3章 もともと虚構の原子力発電 p160〜162)


《写真は物部/中島健蔵さん撮影》
写真は【禁転載】でお願いいたします。

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