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2007年10月 5日 (金)

死んでも原発反対

そもそも、伊方原発プルサーマル計画の反対運動に連帯して始まった「原発さよならネットワーク高知」でした。

「原発反対 プルサーマル反対」「地主 広野房一」
伊方原発反対を訴え続け、一昨年92歳で亡くなった広野房一さんの石碑が、宇和海を見渡す小高い丘に建立されたという特集記事があります。
讀賣新聞記事:
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ehime/kikaku/048/1.htm

0723simizu■地元出身の広野さんは1945年8月6日、勤務していた広島県呉市の呉海軍工廠から広島市上空に立ち上がるキノコ雲を見た。その後に知った広島の惨状。「こんな恐ろしいもんはいらん」との思いを強くした。
69年に伊方町が四国電力への原発誘致を陳情したのを知ると、「原発で何かあれば原爆と同じになる。放射能とは共存できない」と反発。その年には伊方原発誘致反対共闘委員会を設け、72年には八幡浜市や西宇和郡の町からメンバーも加わった八西連絡協議会を誕生させた
73年には1号機の原子炉設置許可取り消しを国に求めて提訴、全国で初めて裁判闘争に持ち込んだ。
■原子炉設置許可取り消し訴訟は78年、一審で敗訴し、92年には最高裁が上告を棄却、原告の敗訴が確定した。
■だが広野さんらを支援し、同協議会のメンバーとして活動する近藤誠さん(60)は「伊方町以外の周辺住民にも被害が及ぶとして、周辺住民が原告として認められたのは意義深い」と判決を分析する。
■近藤さんは伊方2号機の原子炉設置許可取り消し訴訟の原告に加わった。準備書面は八幡浜市の地方紙「南海日日新聞」の社主だった斉間満さんとほぼ2人で担当した。
■南海日日新聞は、別の新聞社で記者をしていた斉間さんが、原発の建設計画に「工場が来て働く場が増える」と喜んでいる住民に対し、「何も知らされていない。自分が書くしかない」として創業した地方紙だ。近藤さんが記者で入った。
■だが判決の4日前、斉間さんが病気で倒れた。判決では原発沖の活断層について、「国の安全審査は結果的に誤りだった」とする指摘を導き出したが、設計については「安全性を有している」として敗訴した
(讀賣新聞愛媛特集記事より一部引用/下線は引用者)


自然保護を考えている高知県民をなめたらいかんぜ!!
みなさんの意志表示で核廃棄物拒否条例を制定しようではありませんか。六ヶ所村での再処理を止め、伊方のプルサーマルを止めるためにも。「高知県・核廃棄物拒否条例請願署名用紙」最終集約用をダウンロード


《写真は土佐清水/中島健蔵さん撮影》
写真は【禁転載】でお願いいたします。

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