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2006年12月 3日 (日)

自由民権運動は青年の運動だった

12月2日(土)冷たく時雨れる佐川路を「佐川史談会」の研修会『植木枝盛の憲法案』に参加しました。
講師は高知大学教育学部教授 松岡僖一さん。土佐の自由民権運動を研究されて30余年の経歴。坂本龍馬の甥 坂本直寛が、土佐での自由民権運動にどんな夢を描いたかを読み解いた『幻視の革命』ほか研究書多数。
パソコンとプロジェクターご持参で、情熱のこもった、しかも分かりやすく整理されたお話でした。


Nami_3今回のテーマは植木枝盛。
いきなり「自由民権運動は青年の運動であった」のタイトル。
明治元年/明治10年(自由民権運動絶頂期のはじまりの年)の運動家の年齢は、植木枝盛11/20歳、坂本直寛15/24歳、中江兆民21/30歳、片岡健吉25/34歳、板垣退助31/40歳、(明治政府側:伊藤博文27/36歳)というように自由民権運動の担い手は青年たちで、なかでも植木枝盛は弱冠20歳で坂本直寛、片岡健吉らとともに佐川町をはじめ、高知県下各地で政談演説会、懇親会、夜学会をしてまわっていたのです。

さらに植木枝盛は、政論紙『海南新誌』では社説のような文章を、大衆紙『土陽雑誌』ではルビ付き社会面記事のような文章を書いていました。
明治維新は「政府と政府の変換、すなわち治者のみの関係であって・・人民の幸福が増したわけではない・・」だから、「政府の独裁を廃して、人民をして政権を掌握すべきだ」(『明治第2の改革』)という論調です。

民衆の心をつかんだのは、「よしや武士」「民権数え歌」などの創作。
♪ 4つとせ 世の明けゆくその早さ 親が子どもに教えられ( 「民権数え歌」)
♪ あさひ輝く国とは言えど 民のねむりのまださめぬ(「民権都々逸」)
♪ 権利張れよや国の人 自由は天の賜じゃ(「民権田舎歌」)


明治期の青年群像が私にはなぜか、東洋町での西尾漠さん講演会を仕切っていた若者たちの姿とかさなって想像されました。つぎの時代を拓く勇気は、青年たちにこそ似合う、そう感じました。


《写真は大岐の浜/岡田充弘さん撮影》

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