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2006年10月26日 (木)

DAYS JAPAN 記事

DAYS JAPAN 2006年11月号に掲載された現地報告『核廃棄物から四万十川を守れ』を、許可をいただいて転載します。報告者の山下幸一さんは、津野町「高レベル放射性廃棄物を考える会」事務局長です。

以下転載。


『核廃棄物から四万十川を守れ』

Photo 高知県の西北の山間地にある高岡郡津野町は、「日本最後の清流」と呼ばれる四万十川と新荘川の源流に位置する、自然が残る美しい場所だ。

 2006年7月に入り、私たちはこのかけがえのない場所に高レベル放射性核廃棄物処分場を誘致しようとする動きがあることを知った。「高レベル放射性核廃棄物」とは、原子力発電所の使用済み核燃料を再処理した後に残る、放射性物質の濃度が極めて高い廃液である。それをガラス固化体にし、青森県六か所村などの中間貯蔵施設で30〜50年冷却した後、地下300メートルの地中に埋めて、約50年かけて処分するという。50年で放射能は弱くはなるものの、無くなるわけではなく、最終的に100万年もの間監視し続けなくてはならない危険なものだ。もしこのガラス固化物に触れれば2秒で死に至る。また、地中深くに埋めるといっても、地下水によって地表に出てくる可能性もある。それを約4万本も埋めるというのだ。この極めて危険な処分場の候補地に、津野町が名乗り出た。

 実は、今年5月1日発行の「津野町議会だより」に、2月に茨城県東海村などへ視察に行ったという記事が掲載されていた。ある議員が一般質問の中で「議会全員がNUMO(原子力発電環境整備機構)問題に積極的に取り組み、研究、研修を重ね財源確保のために勉強している状況である」と言っている記事を読んだ時、迂闊にもこれが処分場誘致の話だとは思い至れなかった。というのも05年2月1日の町議会で「津野町環境基本条例」が定められ、「健全で恵み豊かな環境を保全する」と謳っていたばかりだったからである。

 その後、05年末に津野町議会が原子力発電環境整備機構(原環機構)の職員を招いて処分場の説明を受けていたこと、そして、町会議員の勧めにより、すでに100人以上の町民が六ヶ所村へ2泊3日の視察研修に行っていたことが分かった。しかしその実態は、費用の大半を原環機構が負担しており、自己負担7000円で東北に温泉旅行に行けると言われ、行ってみたら六ヶ所村の視察で、議員にだまされたと言っている人さえいることがわかった。

 着々と進行しているこの動きに危機感を抱いた私たちは、有志を募り、小出裕章氏(京都大学原子炉実験所助手)の講演会「四万十川源流と高レベル放射性廃棄物」を企画した。決定前の調査段階で、応募した自治体には年間2〜20億円の交付金が支給されるなど、原環機構はあの手この手で勧誘する。それに惑わされることなく、私たちは正確な知識をもって判断しなければならない。原環機構の「原子力発電の恩恵を受けている国民が放射性廃棄物処分に責任をもたなければならない」という屁理屈に惑わされてはならないのだ。

 講演会準備を進めていた最中の9月3日、候補地選定に向けた調査に応募するよう求めた陳情書が、誘致を求める町商工会の高橋幸人副会長らから町議会に提出された。このままでは議会で採択されかねないと判断し、私たちは急遽誘致反対の陳情書を2通作成し、4日に提出した。

 9月12日、津野町議会行財政特別委員会はこの3通の陳情書を継続審査とした。誘致を求める陳情書を採択するという暴挙は、さすがにできなかった。そして14日には、橋本大二郎高知県知事の「自分の任期中は処分場を受け入れるつもりはない」という内容の発言があり、この問題により多くの関心が寄せられるようになった。

 9月16日の小出氏の講演会当日、会場はすし詰め状態となり、町内外から来た350人以上が熱心に耳を傾けた。チェルノブイリや東海村の話など、原発事故と放射能汚染の危険性が、住民に分かりやすく説明された。講演会の後半の、岡山の「放射能のごみはいらない! 県条例を求める会」の石尾禎佑氏の報告によれば、処分場の予定地とされる「鈴が森」で旧動燃が88年に行なった調査では、地質的に処分場に「不適」となっていたという。また、処分場を拒否して町おこしに取り組んだ長崎県上五島町(現・新上五島町)の例を挙げ、今後の津野町の振興について提起した。

 講演会の後、私たちは新たに「「津野町高レベル放射性核廃棄物を考える会」を立ち上げた。現在、同県東部の東洋町でも処分場誘致の動きが出ている。私たちの闘いはまだ始まったばかりである。日本の「最後の清流」を私たちの代で終わらせるわけにはいかないのだ。


やましたこういち/1949年、高知県生まれ。高岡郡津野町在住。カルカッタ大学で博士号を取得(インド哲学専攻)。84年より10年間、インドのビィシュバ・バーラティ大学日本学科主任を務める。帰国後、自然農で食糧の自給を目指している。

《写真は西村健一さん提供》

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